3月 21 2010

名古屋城炎上。名古屋城は建て直すべきですか?


今回のウオーキング大会で、すこし名古屋に詳しくなりました。

中でも一番の発見は、名古屋城について。
今年は、名古屋開府400年で、名古屋城も様々な角度から見直されてきております。

もともと名古屋城は徳川家康が将軍の威光を全国に知らしめるべく、
豊臣秀吉の大阪城を超える大普請だったそうです。

金のシャチホコや石垣の規模や、掘割・天守の大きさだけでなく、
織田信長以前の、もともと清須にあった街を
そのまま移したのが名古屋の始まり。

それだけに織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という3人の若者が、
浅くない縁で関わりながら、長年をかけて成長発展し、
その最後を飾ったというに相応しい天下の名城であったようです。

天下を統一した徳川家康。

その本気が入った街。名古屋。
名古屋といえば、天下の名城、名古屋城だったようです。

(今回そこらへん知るまで、尾張徳川家のイメージがあって、
徳川家康と名古屋城って、あんまり結びつかなかったな~。)


残念ながら名古屋城の天守閣は、
昭和20年5月の大空襲でB29の焼夷弾で炎上・消失してしまいました。
だから、私たちがよく見ている名古屋城は、昭和35年に復元されたものです。
確かに是非一度、300年続いた名城を見たかったな。


いま私たちのよく知る名古屋城は、
天守の中にエレベーターが入った、コンクリート作りのものです。

子供の頃、遠足などで、なーんだと、がっかりしたこともありました。
(だって、京都のお寺みたいに木造かなあと思ってたもんね。)


もともとは、木曽檜の梁が渡った豪壮な建物だったらしいですけど。

だから、愛されるように木造に建て直すべき。
なんて市長中心に論議もあるようですが…。   

大丈夫でしょうか?


個人的には、今のコンクリートの城を守るべきだと思うんですよね。
理由は、名古屋の戦後復興のシンボルだから。

なぜなら、戦争で333年続いた天下の名古屋城は、屋根かわらの緑青が
50メートル以上の青い炎を吹き上げながら、すごい勢いで燃えた写真が残っています。

昼間の空を夜に変えるような真っ黒の煙に包まれて
焼け落ちる天守の姿を見ながら、多くの人が立ち尽くして泣いたそうです。

だから、戦争が終わって石垣だけが残った名古屋城を見たとき、
いつか名古屋城を再建することが、名古屋の人の悲願になりました。

自分たちも焼け出されて家を失った状態では
どうすることも出来ず、悔しい思いをかみ締めました。

それから15年でやっとお城が建ったとき、
多くの人から寄付が集まったと聞きます。

もう2度と燃えてくれるな。と思えたのではないでしょうか?
(というのは、想像ですが。コンクリートで作るのも無理はない?)


戦争を戒めて、平和を尊ぶ。

私たちが子供のころから見慣れた現在の天守閣を、
お金を出し合った先人たちのヤル気と、
名古屋の経済復興のシンボルとして受け継ぎ、
これからも大切にしていきませんか?

今更新品の木造立てるよりも、
お城の内部の雰囲気も「昭和」建築で、いい感じなんですよ。


木造じゃなくても、まだまだ愛されています。
是非ごらんあれ。



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